被災70周年 3.1ビキニ・デー全国集会 報告 

磨島 昭広

「ビキニ・デー」とは、アメリカが1954年3月1日未明、太平洋ビキニ環礁で、広島型原爆の約1000倍の威力をもつ水爆(ブラボー)実験をおこない、この核実験によって、マーシャル諸島の人びとや多くの日本漁船などが被災しました。静岡県焼津のマグロはえ縄漁船「第五福龍丸」は、アメリカの指定した危険区域外での操業中に“死の灰”を浴び、23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)は「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残して、亡くなりました。

この3・1ビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃をあたえ、広島・長崎をくりかえさせないため、全国に原水爆禁止の運動が広がり、3千数百万筆の原水爆禁止署名が集まり、1955年8月に第1回の原水爆禁止世界大会が開かれました。原水爆禁止日本国民会議(以降、原水禁)の運動は、核実験反対と核兵器廃絶・被爆者の救援にとどまらず、いまでは原子力の「平和利用」を含めた「核」に反対し、結成時の故森滝市郎原水禁議長の「核と人類は共存できない」を合言葉に、人間と「核」が絶対に相容れないものであるという立場に立ち、核兵器であれ、原子力であれ、原水禁はすべての「核」を完全に否定しています。今年で被災から70周年を迎えた、2024年3.1ビキニ-デー全国集会は、、3月1日の夕方18時から静岡市商工会議所ホールで開催しました。

はじめに、藤本泰成・原水禁共同議長が「ウクライナ・パレスチナをみれば『核抑止』が幻想であり、むしろ侵略戦争の推進力となっていることを指摘。核軍縮のプロセスの機能不全のなか、核兵器禁止条約(TPNW)への期待が高まっているいっぽうで、戦争被爆国日本が果たすべき役割から背を向けているとし、ビキニ被災70年の節目を迎えたいま、変わらないこの世界を変えるために原水禁としていっそう核廃絶にとりくんでいく」と、あいさつしました。次に、開催地を代表し、静岡県平和・国民運動センターの福井淳会長があいさつのあと、長崎大学核兵器廃絶研究センターの中村桂子・准教授の「核兵器廃絶に向けた世界の動きと私たちの課題」と題した、講演を受けました。   講演では、2023年6月現在、世界に核弾頭は1万2520発存在していること、冷戦期以降数は減少してきたものの高性能化がすすんでいること、核軍拡の状況を呈していることや膠着した厳しい現実があるいっぽうで、核軍縮をめざす「新しい風」のきざしがあること、その大きな原動力としての核兵器禁止条約(TPNW)が持つ意味について解説し「核兵器は持続的な未来をもたらしうるものなのか、根源的に考え直す絶好のチャンスです」と述べました。次に、TPNW第2回締約国会議派遣報告、次に、ビキニ市民ネット焼津・かまぼこ屋根の会の秋山博子さんと杉本智子さんが、第五福竜丸の漁労長・見崎吉男さん(2016年逝去)の想いを背負ってマーシャル諸島を訪れ、核被害の調査と現地の人びととの交流を行った際の映像を上映、最後に、静岡選出の高校生平和大使(第26代)の中野愛子さん、渡邊楓花さん、東井上遥華さんが、静岡におけるとりくみ報告とそれぞれの核兵器廃絶に向けた思いを述べ、全国から約180人が参加し集会は終了しました。