フクシマにて

副代表 中川路 守

11月上旬、福島県双葉郡を訪れました。東日本大震災・福島第一原発事故被災直近の地域です。特に、大量の放射性物質に町の中心部を襲われた双葉町は、未だにほとんどが原則立入禁止の「帰還困難区域」であり、それを広報する看板が数多く立ち、主たる道路から枝分かれする道は鉄柵で通行止め、放置され崩れた廃屋や草ぼうぼうの田畑だらけです。震災から13年超経っても、「非日常」が継続している姿は衝撃的でした。また、第一原発は2kmほど離れた国道からしか見ることはできません。フレコンバッグ(放射性廃棄物を詰めた黒い袋)が無数に積まれている中間貯蔵地は不気味です。

東京オリンピック招致の際、時の総理大臣は「状況はコントロールされている」と世界に公言し、「健康問題について、今までも、現在も、将来もまったく問題ない」と約束しました。しかし、東京どころかパリも終わりましたが、わずか3gのデブリをとり出しただけで、コントロールできているとは到底言えません。

一方で、郡内にはどれだけ裕福な町かと思わせるような駅舎や役場、学校等が再建され、スマホのマップにも出てこない新しい道路も通っていますが、双葉郡全体の人口は震災前の1/4以下、特に双葉町に帰還した住民は約140です。「夜は真っ暗で怖い」と地元の方が語るほど、人気も生活感もありません。また、海岸に見える護岸は道路側からは高さを感じませんが、護岸に登ると、波打ち際から10数mの壁となり海と隔絶されていました。

さて、福島県浜通り地区(海沿いの地区)では、地域の産業を回復するために、国家プロジェクト「福島イノベーション・コースト構想」が推進されています。「ロボット・ドローン」「エネルギー」「薬品」「航空・宇宙」等の課題に公費が投入され、過疎化する地域にどんどん工場が建てられています。単なる産業振興・復興とするにはあまりにも「場違い」な印象があります。「復興の名の下」に、何か違うことがすすめられているのではないかととらえる現地の方もいます。

最後になりますが、津波に襲われた双葉町中野地区を嵩上げした広大な場所には「伝承館」が建てられ、地震・津波・原発事故にかかわる展示や証言者の語り等が行われています。学習にはなりますが、暗澹たる思いになりました。安心して生活できる環境確保のために、原発は相容れないものとして、新しいエネルギー基本計画に反映すべきだと思います。

 

 

 

 

国道6号線から見える福島第一原発。白い建物は原発内のもので、直線距離2㎞ちょっと巨大なクレーンがいくつも見えた。また、フレコンバッグが大量に見えた。また、手前の入り口は鉄柵で立ち入りできないようになっている。放射線量はそれほど高くはないということだったが、鉄柵の前にはマスクをした警備員が立っていた。

 

 

 

福島県では「浜街道」が整備されつつあり、左手に見えている区間も20232月に開通したばかり。手前の建物は再建された浄化センターで、奥に福島第二原発が見える。ここから原子炉建屋までは約600m。

 

 

 

東日本大震災・原子力災害伝承館」福島第一原発の建屋から約8.5㎞。2020年9月に開館。もともとは田んぼの中に20数軒の集落があったが、津波に押し流された。除染等を行い、約2m嵩上げしたことによって放射線は低くなっているということだったが、原発側に見える森には入れない(放射線量が大きい)ということだった。

 

 

 

 

伝承館の中から見える海側の景色。奥に白い事務所風の建物が見える(津波で被災したまま放置)。写真には写ってはいないが、もう少し左側にも津波被災した民家があり、津波で壊れた自動車がまだ置いてあり、自動車の持ち主は現在もその自動車の税を払っているということだった。乗っていた家族が亡くなったことから処分できずにいるとのことだった。

 

 

 

避難を呼びかけて回っている最中に津波に流された消防車。

 

 

 

 

 

原発の運転状況や避難状況をまとめたものがそのまま保存されている。

 

承館は写真展示が多いです。

 

測定された空間放射線量が電光掲示板で伝えられている(常磐自動車道路)。福島第一原発の近くの国道では0.629マイクロシーベルトが表示されていた。

 

 

 

 

 

 

 

2023年度、認定こども園と義務教育学校、預かり保育、学童保育を一体にした施設「学び舎ゆめの森」が大熊町に開校。0~15歳児が学ぶ場とされているが、在籍者数は「入学者が心配になる」ほど少ない状況。

 

JR双葉駅。駅舎はとても立派である。

 

 

 

開店直前に震災・原発事故が発生したために、そのまま放置されたケーズデンキ双葉富岡店