日本被団協がノーベル平和賞を受賞するまで
鹿児島県原爆被爆二世の会 会長 大山正一
2024(令和6)年度ノーベル平和賞を、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞しました。68年もの間、被爆者援護を求める日本政府との闘い、身の上に起こった悲しい苦しい出来事を胸にしまい、国内にとどまらず全世界で原爆の悲惨さを語り核兵器廃絶を訴え続けた、今は亡き先人や今も先頭に立って訴え続ける被爆者の運動が報われた思いです。ここで少しこれまでの歩みを記してみます。
1945(昭和20)年8月6日8時15分(広島)・8月9日11時2分(長崎)にウラン型とプルトニウム型がそれぞれ一発ずつ投下されました。地上では放射線とそのあとに続く灼熱と爆風が荒れ狂う生き地獄だったのです。広島では約14万人、長崎では約7万人の命がその年のうちに奪われました。
想像してくださいその日その時の情景を。
こうした原爆被害は、1945(昭和20)年8月15日までは、当時の日本政府の戦争遂行政策のために、またその後は米軍の占領政策によって、厳重な秘密のもとにおかれ、真相はおおい隠されてきました。1952(昭和27)年、日本が主権を回復したあとも、アメリカからも日本政府からも、何らの援助も受けませんでした。地獄の日々を生き延びた被爆者は10年間見捨てられていました。アメリカの占領下で、戦時災害法による救急救護所はわずか2か月後の10月には閉鎖され、翌年9月には法律自体失効しました。待ち受けていたのは病と貧困でした。広島・長崎を離れた被爆者は、原爆についての無理解と差別の中で孤立し、医者も原爆症のことを知らず治療もされないまま苦しい生活を強いられました。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成と「世界への挨拶」
原爆被爆から10年近く、病苦と貧困と差別に耐えてひっそりと生きていた被爆者が本格的な運動に起ち上がったのは、1954(昭和29)年のビキニ水爆実験による第五福竜丸の被災をきっかけとした原水爆禁止運動の燃え上がりに勇気づけられたからでした。1956(昭和31)年8月10日、長崎で開かれた第2回原水爆禁止世界大会の中で被爆者の全国組織=日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。その結成宣言「世界への挨拶」では、「かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります」と「原水爆の禁止」をつよく訴え、「犠牲者に国家補償と健康管理制度」「遺家族に生活保障」「根治療法の研究」を要求しました。「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」の要求は、このときに確立したものでした。
1975(昭和50)年、国連に核兵器廃絶を要請する国民代表団が結成され、日本被団協の代表も参加しました。1977(昭和52)年には国連NGО主催の「被爆の実相とその後遺・被爆者の実情に関する国際シンポジウム」が開かれ、日本被団協も参加し、大がかりな被爆者調査が実施され、総合的な原爆被害を国際的に明らかにしました。
1978(昭和51)年になると世界的に平和運動、核兵器廃絶運動が高まりました。1980年代、アメリカとソ連が中距離ミサイルをヨーロッパに配備しようとして核戦争の危機が高まり、各地で反対運動が盛り上がりました。イギリス・ドイツ・フランス・オランダなどで30万人から50万人の集会がたびたび開かれ、日本被団協に集会への参加要請があり、多くの被爆者がヨーロッパに飛んでいきました。1985(昭和60)年、被爆40年には核保有5か国へ代表を送り、核兵器廃絶を要請しました。
「21世紀被爆者宣言」と「被爆60年行動」とノーベル平和賞候補
90年代末から、核兵器も戦争もない21世紀をめざして、様々な運動が国際的に行われ、1999(平成11)年にはハーグ世界市民平和会議が開かれ、日本被団協は2001(平成13)年、「21世紀被爆者宣言」を発表し、「核兵器も戦争もない21世紀」をめざして生き、語り、たたかう決意を表明しました。被爆60年の2005(平成17)年のNPT再検討会議では、NGОセッションに初めて被爆者の発言が加えられました。また、会議の期間中には、原爆展のパネル展示が出来ました。東京での「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議」の開催、九段会館での「被爆60年10.18大集会―核兵器も戦争もない世界をめざして―」の大集会と中央行動を成功させました。2010(平成22)年、2015(平成27)年のNPT再検討会議にも日本被団協から多くの代表が参加し、原爆展・各国代表部・会合・学校・地域の集まりなどで証言しました。
2016(平成28)年、被爆者が提起した「核兵器廃絶国際署名」が国内外で取り組まれ、2017(平成29)年7月には「核兵器禁止条約」が採択され、その年のノーベル平和賞にICANが受賞しました。
こうした国内外での活動が評価され、日本被団協はこれまでたびたびノーベル平和賞にノミネートされてきました、1985(昭和60)年が最初で1995(平成7)年、2005(平成17)年には、「本命」とまで言われました。2010(平成22)年以降、毎年のように話題になっていました。前述のICAN受賞後は、被団協内で諦めに近い空気もありました。そうした中、今年の発表があったときは、ほとんどの被爆者が驚きと喜び、興奮に沸き立ちました。今回のノーベル平和賞の受賞が、激化する東欧・中東の戦争で核兵器使用をちらつかせ、新たな核兵器の開発や核実験も視野に入れた危うい国際情勢の中、被爆80年を控え今一度核兵器被害の実相を知らしめ、「核兵器廃絶」の望みが叶う機会になることを願ってやみません。 (被団協発行資料参照、抜粋)
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