8・15不戦を誓う日の集会

自治研究所 吉海祐作

本年の「8・15不戦を誓う日の集会」は、8月15日(金)「よかセンター8階」で大山正一(鹿児島県被爆二世の会・会長)さんを講師に招き、「被爆・敗戦80年 ヒバクシャ・被爆二世の歴史と課題」と銘打って開催されました。

集会は、まずは戦没者へ黙祷をささげて始まり、主催者あいさつでは、鹿児島ブロックの中村代表から、参院選でのネオナチになぞらえる勢力の拡大への憂慮と、ほとんどが戦争を知らない世代となるなか、次世代に平和の尊さを継承することの重大さが語られました。

大山正一鹿児島被爆者二世の会会長

大山会長の講演では、まずは日本被団協のノーベル平和賞受賞について言及があり、反面核保有を肯定する参政党等の勢力に対する危惧や、「台湾有事」などの懸念を指摘。続いては、これまでの被団協の活動から、広島・長崎の原爆被害の紹介、被爆者手帳が交付された被爆地域の説明、そして被害の実態などが生々しく語られました。特に外国の特派員であっても、当時はGHQによって発表禁止のプレスコードによる検閲があり、日米両国が被害の実態を隠蔽していたという事実も語られました。その後、1955年、被爆から10年後にようやく第1回原水爆禁止世界大会が開催され、翌年5月広島被団協設立、6月には長崎被災協が設立され、8月に長崎で第2回原水爆禁止世界大会が開催され、日本被団協が設立されたが、戦後10年間、被爆者は無理解と差別で孤立し、苦しみ続け、かつ見捨てられた10年であったと、被団協の結成宣言を紐解きながら説明がありました。ところが運動では核兵器廃絶という目標を掲げていても、ソ連の核実験への対応をめぐる対立、そして1963年の原水禁運動の大分裂によって、その後は保守系の核禁会議、共産党系の原水協、社会党・総評系の原水禁の3つに分かれたが、被団協はどちらにも所属せず、すべての皆さんと協力して運動を続けているとお話がありました。94年12月に制定された被爆者援護法への尽力、そして核兵器保有国への「被爆者の実相を自国民に知らせる」「核兵器の廃絶」「軍事同盟の解消」を訴えると同時に、日本国政府にも同様の訴えを続けていることが強調されます。また鹿児島県の被爆者の運動としては、1957年の原爆医療法の勉強会から始まり、1980年には県下に16支部を抱えていたが、現在では会員の高齢化等のため支部はなくなり、事務局は伊佐市の会長宅に移していることと、自身も属する「鹿児島県原爆被爆二世の会」の2007年10月の発足も語られました。ただ、原爆投下や核兵器廃絶のアンケート結果を見ても、現状はかなり厳しいという見方が多いものの、若い方に核兵器廃絶の意志を継承し、一般の方に広げていくことで、残された補償の問題、二世三世の問題を解決へと導きたいと希望をつなぐ言葉もありました。

お話の最後で、現在鹿児島市在住で、長崎で被爆された方の体験談が語られ、被ばくの瞬間の様子、傷ついた身内の体調、乗り越えた死体の山、預けられた親戚の家での過酷な労働などがありありと聴衆に伝えられました。こういった被害の実相をどのように後世に残すかも大きなテーマであり、これは皆さまにも訴えたいと述べられ、講演は終わりました。