沖縄平和行進特集号

「歩くことで知る沖縄がある」

5月16日~18日まで、沖縄県那覇市を中心に「5・15沖縄平和行進」が開催されました。全国各地から総勢2000名以上が参加(鹿児島県護憲平和フォーラムから16名が参加)、基地周辺を行進し、「基地のない沖縄」の実現を訴えました。参加者の感想文を編集しましたので、構成組織での活用をお願い致します。

~5・15平和行進に参加して~ 

鹿児島ブロック護憲平和フォーラム 吉村 公宏

 敗戦から80年,復帰53年目の第48回5・15平和行進に参加して「米軍基地の中にある沖縄」を強く感じることができました。

国土面積の0.6%の沖縄に全国の米軍専用施設の70.3%が集中しています。サンフランシスコ条約により,日本と分断され米国統治下であった沖縄に、次々と米海兵隊が移駐した結果です。1972年5月15日沖縄の祖国復帰は実現ましたが,米軍基地は居座り続け、今では米国の対中国戦略の最前線に立たされています。平和行進は「復帰後も変わらぬ基地の島沖縄の内実を問い直す」ために5年後の1978年から始まり,今年48回目を迎えました。

沖縄の町並みや自然の景色の中を歩いている最中現れたフェンスは、その内側の広大な土地が軍事基地であることを主張していました。長いフェンスに沿った道を歩いていると、フェンスはどこまでも続いているかのように思えました。この土地で暮らしていくうえで基地は、避けて通ることはできません。航空機による騒音や事故の恐れとともに米兵との犯罪とも向かい合って生きていかなければならない現実を、肌で理解しました。のどかで華やかな町並みや施設と、温暖湿潤な気候がもたらした独自の生態系が共存するという、心を引き付けられる土地でありながら、平和への懸念があることは、とても残念に思います。

多くの地域からこの平和行進へ参加している人が、沖縄の地で起きていることは沖縄だけの問題ではないと何度も訴えていました。私も同感です。沖縄の平和を目指し団結することは、沖縄のためだけでなく私達全員のためにも必要だと考えています。当然、日本全体や世界全体につながります。違和感があるものや間違っていると思うことについて、当事者を尊重しながら問題提起していくことは、戦争を解決し平和を実現するためになくてはならないものではないでしょうか。

私達平和行進に対して、各地の休憩スポットでは、スタッフの方々は同じように暑い思いをしている中で快く出迎えてくださり、冷たい飲み物や飴などを用意していただきました。また、沿道の方々も優しく手を振ってくださり、「頑張れ」と声をかけていただきました。猛暑の中を歩く上で励みになるとともに沖縄の平和を求める方々と心が一つになった気がしました。

暑い沖縄で熱い平和行進に参加して,身体はすっかり消耗しましたが,また来年もこの仲間たちと行進をしてみたいと思いながら沖縄を後にすることでした。身体で感じとったことを多くの仲間に広げ,自公政権が進めている馬毛島・奄美を含め南西諸島の軍事基地化と自衛隊配備に反対するたたかいを鹿児島の地で全国の仲間と連帯して創造していきたいと思います。今回の平和行進で、貴重な経験をすることができました。ありがとうございました。

 

~5・15平和行進に参加して~

鹿児島ブロック 岩川遼大(自治労鹿児島本部)

  1. はじめに / 2025年5月、自治労鹿児島県本部の一員として、沖縄平和行進に参加する機会をいただいた。平和行進への参加は初めてで、正直なところ「自分に何ができるのか」と不安もあったが、現地で見たこと、聞いたこと、感じたことは、自分の中で大きな意味を持つものとなった。
  2. 参加の経緯 / 4月より県本部専従として勤務し、今年度の沖縄平和行進への参加枠のうちの一人として選出された。なんでも自分で「見て、感じて、考える」ことを心がけており、沖縄平和行進の名前自体は昔から知っていたが、参加する機会に恵まれなかったのでチャンスと思い参加した。

3. 結団式と事前学習 / 結団式の会場は満席だった。講演では「戦争の実相から平和を創る」

というテーマで、ガマ(壕)の保存や平和学習の工夫が紹介された。「目から消えるものは心からも消える」という言葉が印象的で、残すこと・伝えることの大切さを強く感じた。
また、南風原町の壕保存の取り組み、文化財としての登録が全国初だったという事実に驚き、地域の力で平和を守る姿勢に心を打たれた。

  1. 平和行進当日 / 嘉手納基地コースには1,200人を超える参加者が集まり、基地前の広大な景色に圧倒された。地平線が見えるほどの規模に、地図や言葉だけでは伝わらない“重さ”を体感。市街地でも飛行機の爆音が響き、基地が日常にある現実を感じた。
    沿道には右翼団体の街宣車も来ており、参加者に対して強い野次が浴びせられていた。それでも、交通ルールを守り、静かに歩き続けた。右翼の人数は思ったほど多くはなかったが、少人数でも現場の空気に緊張感を生んでいた。
  2. 県民大会と地元の声 / 行進後の県民大会では、地元沖縄の方々のスピーチを通じて「これは一人の自己満足じゃなく、地元とつながる連帯の行動なんだ」と感じた。
    読谷村の村長や議長も「基地NO」を明言し、選挙でも争点になるであろう現実を前に、沖縄での基地問題が暮らしに根ざしていることを実感した。
  3. 平和学習と観光のあいだ / 翌日は平和学習とし

て史跡を巡ったが、沖縄の人たちにとっても大切な歴史・自然に触れる中で「訪れる側の敬意」が大事だと痛感した。最初に訪れた「チビチリガマ」は住民の集団自決があった地で、立ち入ることすら恐れ多い雰囲気があった。旅する土地に敬意を持つことは、これからどこへ行っても忘れてはいけないと強く思った。写真:参加者1200人嘉手納基地コースの様子(青空と参加者

  1. おわりに / 平和行進に参加して、自分にできることは決して大きくないと感じる場面もあった。それでも、「地元の人と共に歩いた」という実感があるので、これからは自分の言葉で「行ってよかったよ」と同僚に伝えられると思う。
    沖縄で「見て、感じて、考えた」この経験を、自分なりに持ち帰って、身近な人たちに伝えていきたい。そして、今後も“訪れる側の敬意”を忘れずに、どこにいても平和を考える姿勢を持ち続けたい。

 

~5・15平和行進に参加して~

奄美市職員労働組合員 竹元 周平

沖縄平和行進に参加し、実際に歩いたことで、歴史の重みと平和の大切さを改めて感じました。沖縄戦から数十年が経過した今でも、基地問題や戦争の記憶がこの地に深く根付いていることを実感し、過去を知ることの重要性を再認識しました。

行進の途中、米軍基地を間近に見た際、その規模の大きさと圧倒的な存在感に驚かされました。フェンス越しに広がる敷地や出入りする軍用車両を目の当たりにすると、基地が沖縄の社会や日常にどれほど深く関わっているのかがより明確に感じられました。報道では知っていたつもりでも、実際にその場に立つことで、その問題がより身近なものとして迫ってきました。

行進中、多くの参加者と共に歩くことで、一体感が生まれ、自分の想いを行動として示すことができたことにも強く感動しました。平和を願う人々が同じ目的のもとに集い、声を上げる姿は、ただ歴史を学ぶだけでは得られない力強さがありました。「戦争の記憶を風化させない」という思いのもとで歩くことで、沖縄の人々の声に寄り添い、共に考える貴重な機会になったと思います。

また、行進を通じて平和の尊さを改めて実感すると同時に、それを守り続けることの難しさにも向き合いました。戦争が終わったからといって、平和が永遠に続くわけではなく、意識し行動しなければならないものだということを強く思いました。この行進は過去を振り返るだけでなく、未来に向けて何ができるのかを考え続けるきっかけになったと思います。

私の住む奄美大島でも埋め立ての為の土砂搬出、それに伴う山の掘削が行われており、他人事ではありません。平和への願いはもちろん、沖縄・奄美の美しい自然が軍事力強化のために壊されていくことへの反対の姿勢をこれからも示していきたいです。

 

垂水市職労 橋口拓也

今回、初めて沖縄平和行進に参加しました。日差しも気温も高い中10㎞以上の行進は、とても大変であると同時に、それだけ広い土地を米軍基地が占有しているのだと改めて実感しました。嘉手納基地沿いを歩いている時に右にも左にも有刺鉄線のフェンスがあり出発式の時に聞いた「基地の中に沖縄がある」状態であると感じました。私は、まだ20代で戦争はもちろん、沖縄がアメリカに占領されていた時代も知りません。ですが基地問題は沖縄だけの問題ではな

 

く、日本全国の問題であり、何も知らないままではいられないこと、一人でも多くの人が声を上げる続けることが大切だということを感じました。今回の沖縄平和行進参加は、このようなことに考えを向ける良いきっかけとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

~平和教育にどう生かすか~

北薩ブロック 橋口 和真(鹿教組)

はじめに

鹿児島県で教職ついて10年目。これまで,日々の職務を行う中で,「平和」について深く考える機会が少なかった。沖縄の地で平和行進をすることで自分の中で何が変わるのか,肌身で感じたいと思い,5.15沖縄平和行進に参加した。平和教育は,社会科,国語の読みもの教材,道徳,絵本の読み聞かせ等を通して行ってきたつもりだった。しかし,果たしてそれで十分だったのか。今回の平和行進に参加して考え直すことになった。

1 平和行進を見守る市民

平和行進に参加する中で一番印象的だったのが,「がんばってね」と手を振る子供たちの姿だった。自分が子どもの頃,行進をしている人たちに手を振ったことがあっただろうか。沖縄の市民にとって,米軍基地のフェンスに囲まれ戦闘機の爆音を聴く日常が,平和のために行動する人たちが,当たり前なのだろう。しかし,決して無関心ではない。全国から集まった平和行進団を,沖縄県知事の玉城デニー氏をはじめ,市民をあげて歓迎する沖縄市民に息づく平和への思いに感銘した。平和を考える日常が沖縄にはある。

2 平和教育

沖縄には平和を考える日常があるのに対して,鹿児島県はどうだろうか。平和教育は十分なのだろうか。沖縄と比較し,圧倒的に足りないのは,戦争を感じる体験だろう。米軍基地,戦争の史跡,平和行進は沖縄の子供たちに肌身で戦争を意識させる。では,鹿児島県で同じように戦争を感じさせる体験ができるのだろうか。直接感じることが一番だろうが,まずは,教師が子供たちに体験を語り,思いを伝えることを行っていかねばいけない。今回の平和行進に参加することで感じたことを子供たちに伝えていきたいと思う。また各教科での平和教育を,より体験的にしていくこともできるだろう。戦争の歴史が知識で終わらないように,子供たちの情緒に働きかけ,自分事として考えていくような学習を展開していかなければならない。

おわりに

5.15沖縄平和行進に参加し,これまで自分自身の平和に関して考えることが少なかったことに気づいた。その状態で十分な平和教育ができたはずはない。教師として常に世界の平和,子供たちの未来の平和を考える重要さに気づかせてもらった。私の歩いた平和行進の道のりが,子供たちの未来の平和につながっていくよう尽力していきたい気持ちである。

 

沖縄平和行進に参加して

南薩ブロック  荒田 由美(南さつま市職労)

以前、沖縄平和の旅には参加したことがありますが、平和行進は初めての参加でした。

全国から約2,000人もの多くの仲間が集まったことに驚きつつ、結団式では基調講演等、勉強になる話をたくさん聴くことができました。

行進日は朝から蒸し暑い晴天で、影もない中出発式を終え、いざ歩き出すと、右翼の妨害のなんと多い事か。また、基地周辺の歩道側に向いている有刺鉄線を眺めながら歩きましたが、普段本土にいると、基地問題の実情など知らないことが多いということを実感しました。

沿道や車から手を振ってくださる方々もいらっしゃいましたが、我々の活動をおもしろく思っていない方々もいらっしゃるでしょう。現地に行ったからこそ見えてくる沖縄のことを、今後も正しく次世代に伝えていく必要があると感じました。

全行程を歩き切ることができてとてもよかったです。ぜひ、まだ行かれたことのない多くの方々に、参加していただきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄平和行進 レポート

鹿児島ブロック 前田 響己(南国交通労働組合)

今回は初めて沖縄平和行進に参加をさせていただきました。

また、組合活動で県外に出ての活動も初めてで沖縄に行き実際に歩くまでかなり緊張しました。まず、平和行進全国団結式に参加させていただき色々なお話を聞かせて頂きました。戦争体験を伝えていく大切さ等のお話を聞きました。

私も中学生の頃に長崎へ修学旅行に行った際に、実際に戦争の体験をされた方からお話を聞いたことがありました。とても話の内容が残酷で当時中学生だった私はかなり衝撃を受けました。ここ最近も各国で起きている戦争、紛争などのニュースを見るたびに自分に何かできることはないかなと思うようになり、今回平和行進の参加を決意いたしました。

実際に基地周辺の行進をして思ったことは、住宅や商業施設のすぐそばに基地があることがびっくりしました。基地には弾薬庫や燃料の倉庫などもあるとお話も聞き、本当に沖縄の方たちは危険と隣り合わせで生活をされていることを感じることができました。

また、行進中に若い方たちから応援の言葉を頂くなど沖縄の方たちも諦めずに向き合っていることも感じ取ることができました。

今回の平和行進で感じたことを鹿児島に帰ってから職場や親戚などに広めていき沖縄の皆様に安心して暮らせるように平和活動を頑張っていきたいと思います。

 

沖縄平和行進に参加して

南薩ブロック  松原 梢(南さつま市職労)

ピースアクション2025復帰53年「5.15沖縄平和行進」に初めて参加させていただきました。

初日の16日(金)は、全国から約800人の参加による『復帰53年 第48回 平和行進全国結団式』が那覇文化芸術劇場なはーとで行われ、実行委員会の共同代表あいさつや平和行進団の決意表明がありました。

翌17日(土)は、嘉手納基地コース(約1,200人、12.5km)、普天間基地コース(約750人、11.7km)に分かれ、それぞれの出発地点から県民大会会場であるAgreスタジアム北谷を目指しました。私は嘉手納基地コースに参加しましたが、出発地から鳴りやまない右翼団体のヘイトスピーチや進行の妨害を受けながら、道中1kmほど右も左も米軍基地に囲まれた車道を歩いていると、日本ではないような錯覚に陥り、戦争はどこか遠い昔のことのように捉えていたのではないかと勉強不足を痛感しました。また、Agreスタジアム北谷に到着後は、『5・15平和とくらしを守る県民大会』が開催され、行進団報告や、「私たちは、平和と暮らしを守るため多くの市民の力を結集し、基地のない沖縄・平和な日本・戦争のない世界をめざしましょう」と大会宣言を行いました。

最終日の18日(日)は、チビチリガマ、シムクガマ、「沖縄戦の図」が常設されている佐喜眞美術館などを訪れ、県独自の平和学習会を行いました。

「平和行進に参加したことないし、行ってみよう。」そんな気持ちで参加した行進でしたが、車で走った際は、フェンスに囲まれていても気に留めることのなかった場所が、「静かな生活を返せ」、「基地のない平和な沖縄をつくろう」、「戦争放棄の憲法9条を守ろう」、「米兵の犯罪は許さない」などの思いを口に出し、その意味を考えながら歩くことにより、今までとは異なる景色になりました。飛行機の騒音、落下物、米兵の犯罪など安心・安全なくらしにはまだまだ課題が多くあること、沖縄を歩き、自分の目で見たこと、聞いたこと、感じたことを単組の仲間に伝えたいと思います。

 

沖縄を再び戦場にしてはいけない。日本に米軍基地も弾薬庫もいらない!

姶良伊佐ブロック 西 牧子(牧之原特別支援学校分会)

統計開始以来,九州南部が沖縄や奄美より先に全国トップの梅雨入りとなった日の朝,那覇空港に着陸しタラップを降りたとき,キラキラした青い空と海が目の前に飛び込んできて目を細めました。しかし同時に,80年前,県民に甚大なる犠牲を強いた地上戦の場となったこの地に暮らす人々は,どんな思いでこの空を見ていたのだろうと思うと,空も海も違う色に見えてきました。

沖縄の仲間が新辺野古基地建設をはじめ,その時々の現状やそれらに対する悔しい思いを伝えてくれる中で,「自分も沖縄で行動をしなければいけない。」と強く思い,「5.15沖縄平和行進」に鹿児島や全国のなかまと参加しました。こんなに多くのなかまが全国から集まるのか!と気持ちが強くなりました。

沖縄のほとんどの地が戦場となり,県民の多くが何らかの形で恐ろしい地上戦に巻き込まれていった詳細を改めて知り,観光地として人気の沖縄の真の姿が少しですが見えました。戦後80年,復帰53年たった今でも,戦争が残したものや現在も続く米軍基地の弊害はとてつもなく多く,今年の初めに観光で訪れた沖縄でレンタカーのナビ画面にグレーで示された広大な米軍基地が多いことに驚きと悔しさを感じました。新辺野古基地建設反対で海上行動をしているなかまからは「観光地と米軍基地両方がある沖縄が今の姿。そう思いながら沖縄のことを考えて欲しい。」と言われました。

夏のような日差しの中,シュプレヒコールで沖縄や世界の平和を訴え嘉手納基地コースを歩きました。土曜日だったので,米軍機の轟音はなく,右翼のささやきがまとわりつくように私たちの声をかき消そうとしました。しかし,スタートの読谷村役場に向かう車中で,朝の7時半だと言うのに米軍機の轟音を聞き,これを朝晩関係なく聞かされる日常生活は到底許されるものではないと憤りを感じました。私の勤務地は自衛隊演習場のめの前にあります。空砲や隊員の掛け声,ホバリングの音が授業を遮ることも多々あり,沖縄の騒音被害は本当にひどいのだろうと想像できました。

米軍基地の周りは,どれだけ歩いたら,私たちに方に向いている有刺鉄線の終わりがくるのだろうと,どこを歩いているのか分からなくなるくらい長い道のりでした。読谷村や北谷町が自分たちの土地をやっと取り戻し,生活の場として開発を進め,そこに経済効果が生まれ,県民の暮らしが変わってきたと聞きました。日本の米軍基地の70%もがある沖縄で土地が返還されれば,貧困問題も多い沖縄の経済も変わり,米兵がいなくなることで,恐ろしい性犯罪などもなくなっていくと思います。

隣の県である我が鹿児島も,馬毛島基地建設やさつま町の弾薬庫整備計画,MQ-9の鹿屋基地での運用など防衛という名で戦争の準備が民意を無視して進められています。テレビCMで「今を戦前にさせない」と言っていますが,もうすでに戦前なのではないか,と思うのは私だけではないと思います。

80年戦争をしていない日本は,国民から搾取した税金で防衛費や武器を増やすのではなく,もっと賢く外交をして真の平和を作っていく義務があります。

平和とくらしを守るため,基地のない沖縄,平和な日本,戦争のない世界の平和の実現を沖縄のなかまとともにめざしていきます。多くのなかまに平和行進に参加して欲しいと思いました。本当に貴重な学びの日となりました。

 

 

「5・15沖縄平和行進」に参加して

鹿児島ブロック 別府義己(自治労県本部)

今回、日本本土への復帰53年という節目の年に、沖縄での平和学習に参加する機会をいただきました。中でも心に深く刻まれたのは、ピースアクション2025の一環として体験した平和行進です。約13キロメートルの道のりを、多くの人々と共に歩いたこの時間は、沖縄の現実と、そこに暮らす人々の想いに直接触れる貴重な経験となりました。

行進中は、嘉手納基地の広大な敷地をフェンス越しに眺めながら歩きました。日本国内にある米軍専用施設の約7割が沖縄に集中しているという事実は、今回の平和学習で初めて知りました。沖縄のこれほどの面積が基地として使用されている現状を目の当たりにし、沖縄が背負ってきた負担の大きさを肌で感じました。この状況を、私たちは日本全体の問題として深く認識しなければならないと強く思いました。

行進中には、異なる考えを持つ方々との関わりもありました。彼らの主張は私たちとは異なっていましたが、「日本を思う気持ち」は共通しているのかもしれないと感じました。同じ目的意識を持ちながらも、手段や考え方の違いが対立を生む現実に直面し、多様な価値観が存在する社会の中で、互いを理解しようとすることの難しさと大切さを考えさせられました。

平和行進を通して沖縄の「今」を感じながら、沖縄平和祈念資料館やガマの見学では、沖縄戦の「過去」に深く向き合いました。資料館で、戦争に向かう経緯や人々の極限の生活を示す展示を見たとき、ある年配の男性が静かに涙を流している姿が目に焼き付いています。戦争が過去の出来事ではなく、今もなお人々の心に深い傷として残っていることを実感しました。

また、チビチリガマとシムクガマという壕を訪れた際には、光も差さない閉鎖された空間での過酷な生活を想像しきれませんでした。特に、チビチリガマで多くの人が集団自決を選んだ背景を聞いても、現代の常識とかけ離れすぎていて、正直なところ受け入れることができませんでした。しかし、「受け入れられない」という感情こそが、戦争というものが人間の尊厳をいかに破壊し、異常な状況を生み出すのかを示しているのかもしれないと感じています。

今回の平和学習では、基地の広さだけでなく、居住地近くの弾薬庫、Yナンバーの税金優遇、沖縄国際大学へのヘリ墜落事故と日米地位協定の問題など、沖縄が抱える基地問題の多面性を知りました。また、基地が経済に与える影響についても、複雑な側面があることを学び、北谷(チャタン)の返還地が経済発展に寄与している事例は、希望を感じさせるものでした。

今回の沖縄での経験は、私にとって非常に深く、多岐にわたる学びとなりました。平和を築くことの難しさと、同時に私たち一人ひとりの関心と行動がいかに大切であるかを教えてくれました。沖縄で感じたことを胸に、これからも学び続け、自分にできることを探していきたいと思います。