被爆78周年原水禁・広島大会  参加報告

大会は8月4日から6日までの3日間、広島市内の各地で開催。4日は開会総会の前段に平和公園から総会会場まで「折鶴平和行進」が行われ炎天下の広島市街地を行進、道行く市民、また現地実行委員会の大きな拍手に迎えられ会場のグリーンアリーナへと入場しました。約2,100人の参加、鹿児島県原水禁からは3人が参加しました。

はじめに総会の冒頭に「原爆被爆者への黙とう」を参加者一同行いました。金子哲夫・共同実行委員長が主催者あいさつ。「広島でのG7サミットがなんら核廃絶に向けたビジョンを示さなかったことを厳しく批判」、原水禁大会の経過を振り返りつつ、原水禁運動の意義をあらためて確認することとなりました。

続いて引地力男・福島県平和フォーラム事務局長は「今夏にも強行が目論まれている放射能汚染水の海洋放出について報告。原発事故被害を受けてきた福島の人々に更なる負担を強いる海洋放出に反対する行動を県民一丸となってとりくむ決意」が語られました。

桑本勝子さん・広島県被団協は、当時6歳で被爆され、悲惨な状況やその後の困難を語られました。また、高校生1万人署名活動実行委員会の皆さんが登壇し、活動報告と決意表明。コロナ禍で活動が制約されていましたが4年ぶりに海外派遣が8月下旬に準備されていることも報告されました(会場でのカンパは 486,455円と8/6閉会の折、報告)。

大会基調は谷雅志・事務局長から提起。ロシア・ウクライナ戦争がいまだ継続する中、核による威嚇や核施設への攻撃が標的にされ核使用の危機が高まっていること、先のG7サミットで「核抑止論が正当化され、核廃絶へ向けたものとならなかったこと」、そして福島第一原発事故による放射能汚染水の海洋放出が今夏にも目論まれていることを問題としつつ、「核と人類は共存できない」という理念に立って原水禁運動の果たすべき役割を再確認しました。

2日目(8/5)は、市内各会場に分散して6つの「分科会」や「ひろば」「フィールドワーク」、国際シンポジウムが行われました。鹿児島からの3人は第1~3分科会にそれぞれ参加。

第3分科会では「脱原発~政府の原発推進政策とフクシマ」テーマに伴英幸・原子力資料情報室共同代表が基調提起、1997年以降の政策の流れ、GX推進法のもと原発・核開発が新たな形で進められようとしている問題が報告されました。会場からの報告で「ロンドン条約」(海洋へのあらゆる汚染物を投棄してはならないというもの/日本も条約は批准している)の報告があり大いに学ぶ内容となりました。

午後はちょっとリラックスタイム? (話芸で学ぶ「平和と核」~落語と講談)2時間楽しむ!

3日目(8/6)最終日、県民文化センターで「まとめ集会」が開催され、まとめ集会では「ヒロシマ・アピール」に加え、8月2日突如、中国電力による山口・上関への使用済核燃料中間貯蔵施設建設を検討していることが明らかになりました。原発建設計画から41年間の粘り強い反対運動は今も続いています。

原水禁運動の原点は被爆の実相です。核も戦争もない平和な社会を次世代に継承する行動をこれからも取り組むことを確認して閉会となりました。

8月7日~9日開催の「原水禁・長崎大会」へは、台風接近のため鹿児島からの参加は見送りました。8月30日~31日現地長崎でいただいた折鶴等の献納を行いました。