核燃サイクルの輪は途切れている!増え続ける核のゴミ

〜第39回4・9反核燃の日全国集会参加してー

退教協 上猶 覚

4月9日を「反核燃の日」と,どれだけの人が知っているだろうか?1985年4月9日,青森県の北村知事が,県民の声を無視して県議会全員協議会で核燃3セット(ウラン濃縮工場・低レベル放射性廃棄物一時貯蔵施設・再処理施設)の受け入れを表明したことに由来している。

4月6日から第39回4・9反核燃の日全国集会は,例年であれば、寒風吹き荒ぶ屋外開催だったそうだが,今回は,リンクステーションホール青森の屋内開催だった。集会では各団体からの挨拶や基調報告に続き、集会アピール採択のあと県庁までのデモ行進。そして、原子力資料情報室などからの報告を聞いた。

報告の中で印象に残ったことを3点。1点目は、原子力規制庁が創設されてから10年たった2012年7月以降は,規制庁幹部が全て,経産省出身となったことである。「原子力政策を規制する」ために創立された原子力規制庁幹部が,全て「原子力政策を推進する」省庁の出身者となり,わたしたちが知らないうちに,「規制」が形骸化されていたというわけだ。

2点目は,六ヶ所村の再処理工場は,1993年4月28日に着工し,4年後に完成するはずだった。それが「六ヶ所村の再処理工場は,2024年9月竣工を目指す」に変わってしまっていることである。これまでに,26回も着工延期となっている上に,2023年3月に提出された「建設及び工事の許可審査資料」約6万ページの中に,間違いが3100ページもあり、今年の9月には修正が間に合わず,27回目の延期となると予想されているそうだ。

3点目は,能登半島に関する北野さんの報告。震災後の隆起した海岸などの写真や能登半島周辺の活断層など豊富な資料が示された。日本中どこでも原発のあるところでは原子力と地震の複合災害が起こると避難計画が全く機能しないこと改めて感じた。

翌7日は,集会のあった青森市から六ヶ所村へ。約1時間かけて貸切バスで移動し,集会とデモ行進に参加した。六ヶ所村は,自衛隊三沢基地が近くにあり,原燃施設上空を自衛隊機などが飛行することがあること。六ヶ所村を含む周辺の地域は,大きな工業地域となる計画だったと聞いた。

六ヶ所村に行ったのは初めで、印象は,役場も含めて公共施設は,どれも立派で,交付金を利用したものとすぐにわかった。街を行き交う人は少なく「アトムちゃん」の看板を掲げたお店を見て,複雑な気持ちになった。デモ行進の後、六ヶ所村原燃PRセンターを見学した。核エネルギーの未来や再処理施設、最終処分などPRされていたが,破綻した再処理技術や確定していない最終処分地など全く触れていなかった。六ヶ所村までの車窓から見たあちこちに見える太陽光パネルと,六ヶ所村原燃PRセンターから見えた遠くの風力発電の風車と石油備蓄タンク,そして廃棄物再処理施設は,国のエネルギー政策に翻弄され続けている六ヶ所村を表しているように見えた。