2025年鹿児島県原爆被爆者 慰霊祭報告

2025年10月27日

秋晴れの清々しい風が吹く10月26日、緑に囲まれた城山の麓、照国神社横にある鹿児島県原爆被爆者慰霊碑の前で、2025年の慰霊祭が執り行われました。

はじめに、慰霊碑に向かい参加者全員で、黙とうを捧げました。

次に、鹿児島県原爆被爆者協議会の西上床 キヨ子・ 会長が・ 被爆者、二世、関係者の皆さまご臨席のもと、今年もこうして慰霊祭を行えることを意義深く思っています。・ 二度と被爆者をつくらせない』・ 核兵器廃絶』の想いを志なかばで悔しい思いで逝かれた先輩方の努力で、去年、ノーベル平和賞をいただきましたが、いま世界中を見渡しても核兵器の脅威も戦争もなくなっていません。

今年は、被爆80周年ということで、語り部の活動が全国的に行われました。私も県内外の8カ所を回り、約600人の参加者に被爆の実相を語りました。どこへ行っても・ はじめて聞いた。感動した』との意見をいただきました。でも逆なんです。私の方が 感動と勇気』をたくさんもらえたのです。展示された被爆のパネルを見て学ぶことも大事ですが、やはり被爆者自身の語りには重みがあります。あと、そう遠くない未来に、実相を語れる被爆者はいなくなります。私たち被爆者がいなくなる年月よりも、皆さんの頭上に核兵器の脅威が迫っていることを考えてください。高校生平和大使の子どもたちが・ 微力だけど、無力じゃない』という言葉を残しています。これから一人一人が、核兵器禁止に向けて何ができるかを考えて行動することが大事だと思っています。唯一の被爆国の日本政府が、核兵器廃絶に反対していることに怒りを感じます。今年の姶良伊佐ブロックの被爆80周年の平和行進に参加して各市町の長に、政府に兵器禁止条約に賛成し、オブザーバー参加の要望書を提出しました。先輩の岡本米子さんは、100歳を過ぎてもなお病床にありながら取材活動を続けています。本当に、頭が下がります。私は、あとどれ位活動できるか分かりませんが・ 核と人間は、共存できない』を胸に、できることをやりながら活動していきたいと思います。核のない、美しい地球を未来の子どもたちに残せるよう努力していきます。本日は、ありがとうございました」と、あいさつしました。

次に、原水爆禁止鹿児島県民会議とAコープからのメッセージが読み上げられ、白い菊の花を献花し、慰霊祭を終了しました。